第3回(2025年度)
受賞者
菱山 湧人 氏
受賞論文
“The Chuvash Postposition valli and the Mari Postposition verč: Focusing on the Case Marking of Complements”
授賞理由
本論文は,ヴォルガ川中流域に隣接して分布するチュヴァシ語(チュルク系)とマリ語(ウラル系)の類義の後置詞の格支配パターンに着目している.筆者は先行研究を踏まえながら,まずはチュヴァシ語のvalli「~ために」とマリ語のverč「~ために」がいずれも主格・与格・属格のいずれかを支配する点で共通することを示している(ただしマリ語のverč「~ために」のみが理由を表しうる).次にコーパス調査から,両言語の後置詞に共通して,普通名詞が先行する際には圧倒的な頻度で主格が現れるが,代名詞が先行する場合には主格よりも与格または属格の方が遥かに多いという分布を示すことを明らかにした。結論として本論文では,周辺言語および同系言語の状況も踏まえながら,このような3種の格標識の現れはチュヴァシ語とマリ語の言語接触による蓋然性が高いことを主張するとともに,与格標示の出現は改新であるという仮説を提示した.
選考委員会では,隣接しかつ系統の異なる2つの言語の後置詞に先行する名詞句の格標識における特異な分布と頻度に注目し,かねてから指摘されているチュヴァシ語とマリ語の言語接触の痕跡を現代語コーパスから見出そうとする着想が高く評価された.コーパスから抽出した100例ずつというサンプル数や類似性判断の妥当性などに若干の不安も残るが,手堅い研究手法と慎重な論述に加えて通時的な考察も本論文の価値を高めているものと評された.
公開日: 2025/08/19